忘れられない日~東北地方太平洋沖地震が起きた時

忘れられない日~東北地方太平洋沖地震が起きた時

2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きました。

まさか日本にこのような事が起きるとは、

その日を体験するまで私は少しも疑っていませんでした。

地震の日私は東京の“溜池山王”という場所にパートの面接に行っていました。

久しぶりのスーツにパンプス。私は履歴書とビジネスバックを片手に出かけて行きました。

面接が15時からだったので私は14時46分にエレベーターに乗ろうとしました。

その瞬間エレベーターから今まで聞いたことのない「ブザーの音」がしたのです。

私は驚いてその場でしばらくの間固まりました。

すると私の隣にいたサラリーマンの男の人はイライラしながら無理やりエレベータに乗ってしまいました。

それから10秒後だったと思います。

「大地震」がやって来ました。

エレベータに乗った男性は多分何時間もエレベーターの中に閉じ込められたのだと思います。

私もあと少しで閉じ込められてしまうところでした。危なかったです。

私がいたビルは高層ビルで50階くらいまであったと思います。

近くのビルも同じくらい高層でした。

私は「何かが起きた事」を察してとにかくビルの外に出ようと思いました。

そのままビルの中にいる人・ビルの外に出る人と皆様々でした。

ほとんどの人は空を見上げていました。

私の周りの人は「テロ」だと思っていました。

スーツのサラリーマンは地面に張って恐怖をこらえていました。

私は何かにつかまらないと立っていられませんでした。

私は近くにいたリクルートスーツを着た若い女の子に声を掛けました。

「一緒にいましょう。」

しばらく私達は一緒にいて地震が落ち着いてから別れました。

彼女は私に「声を掛けてくれてありがとうございました。」と言ってくれました。

私はそれから6時間掛けて渋谷に辿り着きました。

スーツにパンプス。足は痛いのを通り越して感覚が無くなっていたと思います。

携帯電話は繋がらなかったので私は「きっと両親が心配している」と思いました。

早く無事を伝えたい。その一心で歩き続けました。

渋谷について私はやっと携帯電話が母に繋がりました。

私は無事を伝える事が出来たのでひと休みしてそれから靴を探しに行きました。

どこのデパートもお店も閉店でした。

私は少し休んだせいで足の感覚が蘇って来てしまいました。

痛い足で何軒も探しましたが駄目だったので諦めようと思ったその時でした。

井の頭線に続く駅ビルの中の1軒のお店がまだオープンしていました。

私がお店に入ると「いらっしゃいませ」といつも通り声を掛けられました。

私は必死で靴を探すとそこには「レインブーツ」がありました。

私は嬉しくて泣きそうになりましたがこらえてレジに向かいました。

お店の人に「どうしてまだお店を閉めないんですか?」と聞くと

お店の人は「困っている人がいるかと思ってまだ開けています」とおっしゃいました。

私はそれからまた2時間掛けて自宅に帰りました。

この時買ったレインブーツが無ければもっともっと時間が掛かったと思います。

あの日の日本人は冷静で賢くて他人に暖かかったです。

私はあの日お店を開けていてくれた彼女の事を一生忘れないと思います。

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救急車で運ばれた時に思ったこと

1週間前の早朝、全身の激痛で起き上がれなくなり、救急車で搬送されました。痛みのあまり、息をするのもやっとの状態でした。

「う~」「痛い~」という、うめき声ばかり出しながら、3時間あまり1人でのたうちまわっていました。

朝6時、いつも通り起きてきた家族が様子を見に来てびっくり。すぐさま救急車を呼んでくれました。

救急隊員が来ても、満足に話せない状態。早朝に救急車を呼んでいるし、何も話さないし、さぞかし嫌な顔をされるだろうなと思っていました。

しかし、予想は大きく外れました。救急隊員は「痛いから、話せないんやろうな」と優しく話しかけてくれました。

「すぐ病院向かうから、頑張りや!」と声をかけてくれたので、すごく安心感がありました。私のようにほとんど動けない患者の場合、救急車で運ばれている時、救急隊員に体を預けなければいけません。

救急車を呼ぶ=緊急の事態です。平静でいることはできませんし、これから自分自身どうなるかわからず、怖くてたまりません。

だからこそ、救急隊員の何気ない一言に元気付けられるのです。救急隊員にしたら、何千回とこなした仕事のひとつに過ぎないでしょう

。けれど患者にとっては、一生に一度あるかないかの、体験です。怖くて、不安でどうしようもない時、「頑張りや!」の声かけ。非常に勇気付けられました。

話は変わりますが、救急車で運ばれている時に、苦労したのが病歴の説明。同乗してくれた家族が説明してくれたものの、自分自身しかわからないものはあります。

~年~月に事故に遭って、~年~月に~の症状が始まるといった病歴情報は、そのまま担当医に引き継がれてしまいます。

「いや、そこは違うよ」と訂正したくとも、声になりません。言葉ではうまく伝わらない状況でもどかしさを感じました。

病歴はメモにして、手帳にはさんでおく方がよいかもしれないと感じました。そういえば医療関係の仕事をしていた時に、病歴はメモに残しましょう!と口を酸っぱくして言っていた私。

健康だけが取り柄で病気を知らない人生だったので、自分自身の管理は怠っていました。そのしわ寄せが、自分自身が病気になった時に来るとは思いませんでした。

いつ、人は病気になるかわかりません。あらゆる面での細やかな準備が必要かもしれません。